最近特にマスコミ等で見聞きするようになってきた制度名ですが、超高齢化に伴い日常生活のなかで正常な判断ができなくなってきたり

若い人でもそのような状態にある人たちをサポートする制度です。判断能力の差で補助人。保佐人、後見人という人たちが判断能力の不十分な人を

援助するようになります。成年後見制度には、まだ本人が判断能力の十分なうちに自ら将来判断能力が不十分な状態になる前にあらかじめ任意後見人を

選んでおき自分の生活や、療養看護、財産管理等について代理権を与えておく契約を結んでおく(任意後見人)こともできます。その後保護が必要になった

時点から、その後見人は、家庭裁判所の選任する「任意後見監督人の」監督のもとに本人出来るだけ本人の意思を尊重し適切な、保護、支援を行います

成年後見人の職務は、本人の財産管理や、契約などの法律行為に関するものに限られており、食事の世話や実際の介護などは含まれません

そして、後見人はその事務について家庭裁判所に報告するなどして、家庭裁判所の監督を受けることになっています。

まだ日本では、これらの制度が始まったばかりですが、(最近まで禁治産者、準禁治産者という制度でこのような立場の人達を保護観察するスタンスで

あった)イギリスにおいては(意思決定能力法で)、人は誰でも意思決定能力があるという前提で、可能な限り本人の意思決定について支援し、あらゆる

方法を試すことが必要とされ、それでも意思決定ができない場合にはじめて 意思決定が困難とみなされます。賢明でないこと=意思決定能力がない

判断してはいけないとされております。意思決定能力に疑問があるという場合、脳などの損傷、障害の有無、それによって意思決定ができないか否かが

厳密に判断された場合初めて本人以外の他者による代行決定がされます。この代行決定の場面でも本人自身が参加。関与できるようサポートし

本人の権利や自由の制限が最小限になるよう定められています。日本も国連障害者権利条約を批准したことで、これらの先進的な制度へと改革が

求められます。最近の日本のニュースでも、このような人への虐待、(離れた小屋に閉じ込めておく、ゲ-ジサークルに入れておく、満足な

食事、衣服を与えておらず発育不良で衰弱死させる)また、昭和初期頃まででは子供の間引き(捨て子)姥捨て山へ老婆を捨てに行く等々の

話が語り継がれていましたが、いまだに弱者への心遣いは高いとはいえず、法の制定や整備がなされても各人の心が他者への心くばりがないと

多くの悲劇が繰り返されます。昔の近所の雷親父、おせっかい婆さんがいなくなり表面は静かなようだが、過度なプライバシー最優先

隣はなにする人ぞ(利己主義)触らぬ神に祟りなし(見てみぬふり)とカビの生えたような話になりましたが、法律論から最後は

精神論になっていしまいました。うざい話とお聞き流しください